綿菓子屋此処似候 -2ページ目

琵琶湖の西岸



 昼食には、奥びわ湖水の駅道の駅塩津海道あぢかまの里(昔は前半だけだったけど、道の駅になって正式名称がわからなくなってしまった)で、臭くて有名な郷土料理鮒寿しのお茶漬けを食べる。酸っぱくてしょっぱい味に最後には涙が出る。

 リゾート地の琵琶湖西岸は小さな別荘が建ち並んでいるけど、まだまだ季節にはほど遠く無人の家が多かった。
 広く整備されたオートキャンプ場の一角でリサを放す。水を飲んだ後、リサはトボトボと帰ろうとする。声をかけても止まろうとしない。慌てて撮影を止めて追いかける。耳が遠くなったのか、年をとって頑固になったのか、ひとりで行ってしまう。流石にもう走ろうとはしないから、すぐに追いつけたけど。

iPadは無縁か?

 iPadが日本でも発売された。

 今の携帯電話でさえたまに見る程度なので、iPhoneやiPadを使うためには今の生活から何らかの犠牲を強いられることになる。遊ぶ暇がないぐらいに忙しいことは断じてないのだが、色々と追い回されているので時間をもてあましてもいない。
 道具でしかないiPhoneやiPadに見合うだけの生け贄が現状の時間割からは見つからないのだ。秋にNFLのシーズンが始まったら尚更だ。ゲームの録画を見るだけで余暇の大半が埋まる。

 最新のおもちゃとしてのiPhoneやiPadには魅力を感じるのだが、私の生活に取り入れるのはまだまだ先のことになりそうだ。

 時代の最先端を追いかける年頃ではないし、時代の最先端はいつも進化し続けていることを身を以て体感している。

 ただ、電子書籍では、好きなジャンルの海外SFに絶版が多く、是非これまでに出版された本を全て復刊して欲しいとともに、シリーズの途中でとぎれたり、翻訳されても出版されなかった本も多いと思うので、一気に市場に出ることを夢見ている。そうなれば、すぐにも・・・きっと!!!!

頼りなのは字幕だけ

 最近のお気に入り海外ドラマはバーン・ノーティス 元スパイの逆襲で、現在FOXシーズン2を放映している。また、放映より若干早いタイミングでDVDがレンタルされている。
 
 海外物はいつも吹き替えではなく、わかりもしない英語のセリフを字幕で見ている。先日、放送版とDVD版の字幕を何気なく見比べてしまったら、驚いたことに微妙に違っていた。頭から同じと信じていたので、慌てて両者を見直しすと、全く別のバージョンのようだった。
 映画ならそんなこともないのだろうが、海外ドラマでは放送局とDVDの発売元とは関係ない時もあり、別々に日本語版を制作したらしい。
 
 今回の例では放送版の方が若干親切だったが、固有名詞を聞き取って判断する限りでは、面白いことに両者を合体させるとより完全な訳になりそうだった。

 字幕では短い時間に手っ取り早く伝えるために、かなり情報を省略してあるとは聞いていたが、ここまでとは思わなかった。本筋とは関係のない固有名詞を羅列するシーンでは下手をすると半分以上が簡単な一言で片づけられる。

 たまに、訳が悪いからか説明不足で話が飛んでしまうこともあったりして、字幕の限界を感じることもある。また、海外ドラマを見続けていても英語が上達する気配は全くない。

 それでも、やはり、少数の声優さんたちが順繰りでアニメにも映画にもドラマにも登場して混乱してしまうことがままあるので、場の雰囲気を少しでも味わうためにもこれからも字幕で見ていくつもりだ。


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出演 : ジェフリー・ドノヴァン,ガブリエル・アンウォー,ブルース・キャンベル

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連休のあとに

 振り返ると、5月の連休は、グルマンのパンとコルトレーンだった。一宮店と垂井の本店と3日間に2店を回り、いつもパンが手もとに転がっていたし、車の中ではUSBメモリーに入れた1957年のコルトレーンを、FMトランスミッターでずっと流していた。

 連休中は渋滞で八方塞がり。近くを流すにとどまる。

 9日にもなると、連休の反動で車の量はグッと減る。午前中は町内の葬式に出、昼から木曽福島に車を走らせる。御岳手前の開田高原は想像より景観が素晴らしかった。広がる高原、深い谷、雪の残る御岳、目を横に向ければ同じく白い巨体の乗鞍岳が控えている。
 ソメイヨシノはだいぶ散っていたが、山桜やチューリップは満開。水芭蕉も咲いていた。今日は車で通りすぎただけだが、今度はゆっくり訪ねたい。
 高山から高速に入って、夕方には帰宅。どこでも渋滞にははまることはなく、快適なドライブだった。

なぜ数独が何なのか?    -1

 数独を解き続けている。途中少しの休憩を挟み、解き続けてそろそろ半年になろうとしている。でも、数独はそんなに好きではない。熱中すればするほど、苦行に思えてきて、本当は嫌気が増す。それでも、数独に集中する具合は、ある意味、偏執狂的ですらある。いや、病的な固執の段階に達している。

 ポケット数独の表紙に「脳力トレーニングに最適!」と書いてあるが、脳力トレーニングとはマスコミが作り上げた造語で、数独を解いても頭が良くなるわけではない。数独に挑戦すると、数独を解く技術がちょっと増しになるだけだ。頭が柔らかくなったとは実感できないし、発想力が豊かになるなんてことはとてもあり得ない。惚け防止になれば、それに越したことはないが、実感として記憶力は確実に減退しているので、それ程の効果はないようだ。
 知人の一人は「非現実的だから」と言ってアバターを見ようとしない。また、別の知人は「3Dメガネがわずらわしそう」と忌避する。彼らはアバターに関しては頭の固い人物だ。彼らが数独をやると、急に頭が柔らかくなって、アバターを見に行きたくなるなんてことはないだろう。頭を柔らかくする方法のひとつは先入観を捨て去ることで、数独にそこまでの効果を期待するのは酷だろう。

 脳力と言う単語の定義自体が曖昧で、そんなに単純に測れる物ではない。脳の働きは、ほとんどのことがまだわかってなくて、わかっていることも実はかなり怪しい。テレビによく出演している有名な学者の何でも知っているような顔つきに騙されてはいけない。脳の働きについては予測しているにすぎないことも多く、知らないことは包み隠して、知らんぷりしている。知っていることを知っているだけなのだ。言葉の巧みさだけが学者級で、脳力、脳力とやかましいが、中身は空っぽに近い。。
 頭が良くなりたい人が多いらしく、「頭の体操」以来再三再四脳のブームが訪れる。しかし、あの時だって、本はよく売れたが、それに比例して天才が増えたとはついぞ耳に入ってこなかった。私の場合は、途中で飽きてしまって頭の悪いままだ。
 お遊びなのだからそれ以上のものを期待してはいけない。

 だから、初めから脳力トレーニングのために数独を始めたのではないと断っておく。ひとつの趣味として数独を始めた。


続く・・・。

食べにチョイとツイ遠出 -おにひら・賤母-

 市内の蕎麦屋の駐車場は満杯だった。通り過ぎても行く当てがなく、蕎麦ならあそこと、長野県阿智村のおにひらへ走る。中央道の恵那山トンネルを抜けてすぐ、昼顔温泉の南にある。ここの蕎麦は唯一一口食べておいしいと思う。

 一般道を岐阜県に向かって、妻篭、馬篭の近くを抜けて、道の駅賤母へ。
 通路で焼いている石窯ピザが絶品。3月~11月の土日祝のみの営業。ここ以上のピザには今の所お目にかかっていない。夜食用に持ち帰る。

 オススメなんだけど、遠い・・・!

マッサージクッション

 日曜日にマッサージクッションを購入。
 もみ玉は上下に動かないので、自分で動くか、クッションの位置を変えて使用する。マッサージチェアに比べれば安価だし、部屋の半分を占有しないのが良い。

 腰の張りが酷くなっていたので、集中的にマッサージをしていたら、翌朝は余計に痛くなって、がに股でしか歩けなくなった。

 水曜日には痛みも治まり、ちゃんと以前より快調に。

 思っていた以上に肩が凝っていることに気がついた。
 腰痛への効果は不明だが、今のところ、気分は上々。その内飽きるだろうが。

等伯と宗達

 没後400年で長谷川等伯の特別展が東京、京都と巡回展示されるようだ。テレビでも何かと紹介されているらしい。
 だからでもあり、だからでもなく、3月7日日曜日は等伯の障壁画のある智積院に行く。あいにく、「楓図」と「松に秋草図」は先の特別展に出張していて、替わりに長谷川等伯の『十六羅漢図』が特別に展示されていた。説明で等伯とその一門による制作とあったが、宗達にしても狩野派にしてもルネッサンスの画家のように一人で描くのではなく、工房を構えて弟子も交えて注文の品を描いていたはずで、そのことをしっかり言及していて面白かった。
 真言宗智山派の総本山である智積院は伝法大会/伝法灌頂の真っ最中で、新米僧侶の勉強会などが開かれていたのだが、見学を禁止されるわけでもなく、部外者は邪魔をしないように寺の中を徘徊することができた。本来障壁画のあったところには模写が展示されていたのは、逆に新しすぎて不釣り合いだった。

 次にはすぐ近くの養源院で、俵屋宗達の板絵を見る。二度目。この寺は来年のNHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』の主役 崇源院 と関係が深いので、来年は今以上に賑わうことだろう。

 最初の智積院は境内に駐車場があり、自由に駐めることができた。宝物館や講堂、庭園以外は自由に歩き回ることができる。繁華街にあっても境内の駐車場は無料の寺が多い。前に行った建仁寺は祇園にあって、すぐ隣にJRAの場外馬券売り場があるのに、駐車場は無料だった。でも、境内に一歩入ると、周囲の喧噪が嘘のように荘厳な静けさが包み込む。さすが、京都だ。

 智積院から養源院に向かったのだが、車で移動するも寺内にも周りにも駐車場はなく、京都国立博物館の駐車場に運良く駐めることができて、そこから歩いた。京都国立博物館は特別展覧会の「THE ハプスブルク」が終了間際と言うことで、70分の行列ができていた。1月の末に見た時には待ち時間もなくすいすい見られたのに、終わるとなると慌てて見に来る人が多いようだ。
 養源院の帰り、三十三間堂の前を通ると、3時半に閉められていて、遅くに来た観光客が門の前で立ちすくんでいた。ここは閉門が早い。
 京都国立博物館は閉館時間まで40分なのに待ち時間は30分だった。

 帰りの名神高速道路は珍しく渋滞もなく家までたどり着くことができた。雨の3月、京都国立博物館以外は比較的人出は少なかった。

しあわせの隠れ場所 最優秀主演女優賞

 アカデミー賞ではサンドラ・ブロックが最優秀主演女優賞に輝いた。

 きっと、最後のサンドラ・ブロックのスクリーンいっぱいの笑顔が決め手だっただろう。
 ぜひ、あの笑顔をお見逃しなく。

しあわせの隠れ場所




 アレレレッレ、サンドラ・ブロック主演でアカデミー賞に作品賞と主演女優賞にノミネートされているのに、なぜか、近くのシネコンではどこでも上映していない!!?
 東海三県ではなんと名古屋の2館のみ。それでも封切りを待って早速観る。

 実話で、しかも現在進行形だから、奇想天外な展開にはならないのだけれど、それをちゃんとした感動的なストーリーに仕立て上げるのは流石、ハリウッド。さりげなく、じわりじわりと迫ってきて、知らないうちに物語に引き込まれてしまう。
 奇を衒わなくても、観客に媚びなくても、これだけの映画ができることは逆に驚かされる。

 アメリカでは原作も映画も大ヒットしている。なのに、なのに、素材がアメフトだからと言う理由で、日本では隅っこに追いやられてしまった。
 アメフトを知っているに越したことはないけれど、知らなくても充分に楽しめる。アバターも良いけど、アカデミー賞では競っている。
 ラブコメではなく、SFでもアクションでもない。もちろん、時代背景は現代で、幕末ではない。だから、扱いが悪いのか。そうだとしたら、とても残念。